KBR2016
37試合 18勝19敗0分 勝率.486
138得点/136失点
打率.196(843-165) 7本塁打 75盗塁 160三振 63失策
212投球回 防御率3.47 154与四球 152奪三振
首位打者 | 小川大輝 | .270 | |
最多本塁打 | 小川大輝 | 2 | |
最多打点 | 渡邊健太郎 | 11 | (2年連続) |
最多安打 | 小川大輝 | 17 | (2年連続) |
最高出塁率 | 横田浩煕・高橋一石 | .417 | |
最多盗塁 | 高橋一石 | 10 | (2年連続) |
最優秀防御率 | 岡村直樹 | 2.22 |
最多勝 | 鈴木綾・岡村直樹 | 4 |
勝率第1位投手 | 岡村直樹 | .500 |
最多奪三振 | 岡村直樹 | 74 |
最優秀中継ぎ投手 | 米倉匡亮 | 2HP |
最多セーブ | 石橋央基 | 2 |
gemeページに戻る カント『純粋理性批判』は、全ての知識は経験に基づくとするヒュームらの経験論、そして理性によって必然的に正しい知識に到達できるとするデカルトらの合理論を統合し、アリストテレスにはじまる形而上学の復権を図った書物であったといえる。 まずカントはこれまでの経験論者と同様に生得的な観念の存在を否定した。しかしその一方で、人間の認識がすべて経験と合致するものであるという主張は斥けた。この主張は経験に合致したものがはじめて認識として現れるという前提によるものであるが、カントはこの議論を逆転させ、人間の認識の枠組みにおいて捉えられない限り、経験というものは生じてこないと結論付けた。この枠組みはカテゴリーと名付けられ、量や質などの概念をさらに細分化し、カント自身によって12のカテゴリー分けられている。カテゴリーは経験に先立って全ての人間に備わっており、人間の感性が捉えた様々な感覚は、悟性と呼ばれる働きによってそのカテゴリーのいずれかに分類されはじめて認識となる。カテゴリーはあらゆる認識に必須のものであって、裏を返せばそのカテゴリーに当てはまらない情報は絶対に感知されえない。つまり、人間が認識可能なのは悟性を通じた表面的な現象部分のみであり、その現象を生み出す物自体を見てとることはできないということである。こういった物自体によって構成された形而上世界の存在は、まさしくソクラテスやプラトンの時代から考察されてきた哲学と通じるものであった。経験を超えた形而上世界を対象とする議論は意味をなさず、ときに全く矛盾した二つの命題がともに成立することすら起こりうるがゆえに、カントは神の存在・非存在をはじめ概念的な証明に結論を示していない。 ここで一つの疑問が発生するだろう。たしかにカントの主張する通り物自体は直接認識できないとすれば、人間であるはずのカント自身はどうやって物自体の存在を察知したのであろうか。たとえカントの論理に明らかな矛盾がないとしても、あくまでそれは推論の域を脱していないはずであって、物自体が確実に存在するという証拠は見当たらないのではないか。 『90分でわかるカント』(浅見昇吾訳、1997年、青山出版社)においてストラザーンはこう解説している。まず、カント以前の時代において、ヒュームらの徹底した懐疑主義に基づいた経験論がそれまでの形而上学を完全に破壊し、人類がこれまで打ち立てた学問体系の根幹をも揺るがそうとしていた。すなわち、経験によらない知識をすべて否定したヒュームによって、経験からは直接わからない物事の因果関係の存在まで否定されてしまったのである。数学や物理学を含めた自然科学一般は物事の因果関係を積み重ねた過程で築かれたものであるから、とたんにその妥当性は曖昧なものになった。カントがそもそも形而上世界の再構築(の可能性)を説いたのは、それによってこの大問題を克服し、自身も精通していた自然科学の信頼を保証するためであった、という。 ストラザーンは当時の哲学界の潮流やカントの人間性そのものにまで言及して、カントの言説を肯定しており、筆者もその議論に賛同する。ここではさらに『純粋理性批判』の記述から考察したい。