冒頭では大風呂敷を広げてしまいましたが、一口に歴史をひもとくといっても、これは大変な作業です。ご想像の通り、サークルには普通、古い時代の記録というものがほとんど残っていないからです。まずはいくつか、簡単に入手できる史料から調べていきましょう。
なお、史料の調査にあたっては、18世代代表の三木壮太君(以下「代表」とします)から多大な協力を賜りました。この場を借りて感謝申し上げます。
目次
優勝トロフィー
一つ目の史料は、かつて塾内で開催されていたという「慶應塾内リーグ」の優勝トロフィーです。誰が置いていったのでしょうか、私が入学した頃から、たまり①のガラクタの中に埋もれていました②。

台座(青い部分)は失われています
このトロフィーには、1970年の第1回大会から10年分ほどの優勝チームが記されています。ちなみに塾内リーグの初代王者は、「フラミンゴ」③でした。1周回って強そうなチーム名ですね。
KBRは、1971年の第3回大会で初優勝を飾っています。その後、1978年の第10回大会でも優勝しました。創立間もないチームだったはずですが、結構強かったんですね。
これで、少なくとも1971年の時点では、ブルーズアンドレッズというチームが存在していたことがわかりました。
①KBRが慶応義塾の公認サークルであった頃、日吉キャンパスには「たまり」と呼ばれる学生団体スペースがありました。食堂棟の3階にある机や椅子の一角がKBRに割り当てられていて、日吉に通う1、2年生は、よくここで昼食を食べたり、新歓や三田祭の準備をしたりしていました。現在は改装され、机も椅子も撤去されています。

旧HPより
②50年間たまりに置かれ続けていたとは考えづらいので、やはり誰かがどこかで保管してくれていたのでしょう。現在はタマスポの荷物置き場に、そのほかの資料と一緒に置いてあります。
③フラミンゴは2000年代まで存続していたようです。当時のmixiコミュニティとみられるものがネット上に残っています。
たまりノート
二つ目は、「たまりノート」①です。最も古いもので、2006年11月から始まるものが残っています。
10年以上前となれば、学生を取り囲む環境も大きく変わってきます。ネットの流行り言葉など、懐かしい言葉もたくさんありました。このたまりノート、読んでみるとなかなか面白いことが書いてあります。
過去の塾内トーナメントのやぐらがくわしく記録してあるとか②、近年までお互いの名前を名字で呼び合っている③とか、助監督という役職があるとか、新歓合宿を5月にやっているとか、一時期な永久欠番があるとか。昔ほど麻雀関係の書き込みのは時代を感じさせます。先輩が思いつきで発していていたと思っていた言葉が、意外と古くから使われているのだと気付かされることもありました。

2012年頃とみられるやぐら
裏紙として使われていた新歓チラシがノートに挟まっていて、その内容から当時のサークル活動の概要がわかることもありました。
個人的にもっとも印象的だったのは、かなり昔の時代には、マネージャーにも2桁の背番号が与えられていた点です④。
このように読めば読むほどいろいろな発見があるノートなのですが、しょうもない落書きもたくさんあります。古いノートは日誌のように丁寧に書かれていたのですが、だんだん無駄なページやどぎつい書き込みが目立つようになりました。
私も最初は通読しようと思っていたのですが、頭がおかしくなりそうなのでやめました。これもタマスポの荷物置き場に安置してあるので、暇な人は読んでみてください。
たまりなき今、こういった記録媒体がなくなってしまったのは、とても残念なことです。
①その名の通り、たまりに常備されていたノートのことで、立ち寄った人が日頃の出来事や落書きなど、好き勝手なことを書いていました。時期によって相当なばらつきはありますが、1年くらいのスパンで新しいノートに切り替わることが多かったようです。

たまりノートの例
②塾内のやぐらをみると、かつて慶応の関東大会出場枠は3つあったことがわかります。名前を聞いたことのないチームもたくさん存在していたようです。
③私が入学した2015年のKBRでは、男女関係なく下の名前で呼び合う文化が定着していたので、新鮮味がありました。もっとも、私より下の代になるとその傾向もかなり薄まってきたようです。あくまでその文化は一時的な流行りだったとも言えます
④たまりノートでは署名代わりに背番号を書くのが通例なので、だいたい最後のページにはメンバーの背番号一覧があります。「33」が永久欠番とされていた時期もありました。
ホームページ
ブログ初めの投稿にも書きましたが、ホームページやTwitterのアカウントも重要な史料です。
現在と同じサーバーでHPを使うようになったのは2004年からですが、それ以前にもいくつか別のHPが存在していたようです。古い写真、たとえば多摩川の土手沿いにマンションが建つ前の2000年頃とみられる写真や、当時参加していた毎コムリーグという大会で優勝し、横浜スタジアムで試合をしたときの写真などが残っています。

インターネットの普及が急速に進んだ、2001~02年のHP
Twitterは2022年で11年目となりますが、現状ほとんど唯一となるサークルの記録として更新が続けられています。
このほか、他サークルのHPも参考になります。特に、慶應野球界の盟主たる①フィリーズのHPには感心させられます。
1978年の塾内リーグでの成績から始まり、慶早トーナメント(なんてあったんですね)、塾内トーナメント、関東大会でのチーム成績が、毎年分記録されています。塾内リーグ10連覇(1997~2006年)など、毎年当たり前のように各大会で優勝していて、フィリーズの輝かしい歴史が見て取れます。②
塾内リーグは意外と最近、2014年まで開催されていたということもわかります。1977年の欄は、大会の結果がないにもかかわらず用意されているので、この年がフィリーズの創立年なのでしょうか。
フィリーズのHPができたのは、どんなに早くても十数年ほど前のことでしょうから、詳しい記録がもともと別の所に保存してあったとしか考えられません。18世代代表を通じて、記録の所在についてフィリーズに問い合わせてみたのですが、今は伝わっていないとのことでした。
これまた、残念な限りです。
①フィリーズは毎年、慶應野球サークルと関東大学軟式野球連盟との間で窓口役を担っています。塾内でも歴史が古い野球サークルの一つのようですが、いつ頃どんな経緯でそういった役割を引き受けるようになったのか、気になるところです。
②KBRの名前も7度登場しますが、いずれもフィリーズに敗れています。
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