こんにちは。4年生の古林です。
3月ももう終わりですね。あす発表の新元号が楽しみです。
今月は各大学で卒業式が行われました。

3.8 東洋英和

3.22 フェリス

3.25 慶應
(アカデミックドレス
着たかったなあ笑)
それからもうずいぶん前の話になりますが、追いコンについて書きます。(例によって長いよ。後半結構恥ずかしいよ)
今年は追いコン前の練習が2回ともつぶれてしまったため、全員何か月ぶりかという野球です。
4女監督のもと下級生との対戦になったのですが、まあ普通に負けました笑。みんな頼もしい限りです。
昔はガス橋の練習といえば4面を使っていたのですが、いまやすっかり5面がホームグラウンドになりましたね。

なぜか学ユニで
追いコン1次会の会場は、渋谷Chelsea Terraceさんでした。
僕が12年生のころは、KBRの追いコンといえばそれはもう大きな会場でやったていたような記憶があります。あれからKBRもずいぶんこじんまりとしたサークルになりました。
例年通り、3年生・4年生それぞれのムービーを上映してから一人ひとりのスピーチとなりました。
3年生からのムービーはさすがのクオリティでした笑。
最後にお世辞でも僕たちを「黄金世代」と表現してくれたことがとても印象に残っています。
4年生からのムービーは当日バタバタしてしまい申し訳なかったのですが、その後内容を大きく追加してドライブにアップしています。
いずれもHPでもパスワード付きで閲覧できるようにする予定です。
ところどころ12世代のムービーと被っていると思われるかもしれませんが(本編冒頭とかマネへの動画とか)、オマージュです笑。
スピーチのときは予想に反してみんな淡々としているなあと思っていたのですが、後ろの人(特に代表)の尺が削られないようにとの配慮だったようです。
みんなとても印象的なことを語っていて、本当にこのまま消えてしまうのが惜しまれるような言葉たちでした。一応その抜粋を、本稿末尾に掲載しています。
それからたくさんのプレゼントやサプライズのケーキまで、本当にありがとうございました。色紙には一年生からの言葉もたくさんあってうれしかったですし、みんなから肉筆のメッセージをもらうのはそうないことですから、大切にします。
4年生からのプレゼントはTシャツです。

ほぼ紺ですが、
青だと思ってください
野球用のしっかりした素材なので、ぜひ練習等でも来てもらえればと思います。
青は赤と並んでKBRのもうひとつのチームカラーであり、慶應のスクールカラーでもあります。真っ赤なユニがトレードマークのどっかのチームに対抗した意味、それから昨年の幹事学年へのリスペクトの意味も含まれています。
2次会は安定の笑笑です。2年越しとなるSSの乾杯には、やっぱり感じ入るものがありました。
これも昔はKBRの飲み会といえば魚民の大広間というイメージだったのですが、しばらくはここがみんなの思い出の場所となりそうですね。
ところで毎年先輩も言っていたような気がしますが、野球のときは正直「これで最後」という実感はほとんどありませんでした。
むしろこれまでの感覚で言えば「ここから一年が始まる」時期なわけであって、なんだか変な感じがします。社会人になって忙しくなれば、KBRのこともそのまま意識からフェードアウトしていくものなんでしょうか。
でも今になって振り返れば、やっぱりどこかで最後ということを意識していたんだと思います。
日頃なら絶対気に留めないような、いくつもの感覚が思い出されるからです。
アウト取ったときはやっぱりうれしいなあとか。
この赤いバット使ってたなあとか。
学ユニってこんなにくっきりした緑だったかなあとか。
PDってこうやって飲むんだよなあとか。
自分の名前で応援歌を歌ってもらえるのも、そうそうないことなんだろうなあとか。
土手の上から眺めるグラウンドの景色、
塁間や周りの野手との距離感、
バットやボールの重さ・衝撃、
芝生の上で着替える感じ、
オール明けの空の色、
道行く人がふとKBの人に見える感覚……。
はっきり卒業を意識したのは、いよいよ自分がスピーチをするというときでした。
急に泣き出してちょっと引いたかもしれませんが、あのときは今までサークルで見た無数の光景が一気にフラッシュバックするように感じられたのです。僕にとってはそのどれもが、戻れるならば戻ってみたい桃源郷です笑。
最後に記念撮影をするときも、1年生のときの新歓合宿で「よく写真を撮るサークルだなあ」と思ったことを思い出しました。
あれから何かにつけて馬鹿みたいに撮ってきた集合写真ですが、これが本当に最後なのかと思うとやっぱり涙せずにはいられませんでした。
1年の新歓期にサークル紹介の冊子を見て、「ここは違う」と一蹴したKBRですが、まさか4年後にそこの追いコンで大泣きすることになるとは思いもよりませんでした。
僕の場合はいくつかの偶然と強引な勧誘でKBRに入ることになったわけですが笑、もしかつての自分のようにちょっとした理由でサークルの可能性を狭めてしまう新入生がいるとすれば、それはとてもかわいそうなことだと思います。
僕はこの四年間ほとんどすべての活動に参加していたつもりなので、これから自分のいないところで勝手にKBRが動いていく感覚が、どこか不思議でさみしく感じられます。
この記事を書いているころには4年生抜きのLINEグループが勝手に作られていて、勝手にみんな新歓の準備をしているはずです。勝手に新入生を集めて勝手に合宿をやって、勝手にサークルのことで悩みながら勝手に青春を謳歌していくのでしょう。
僕にとってのKBRが思い出の姿のまま止まってしまうのに対して、現実のKBRは今後も絶えず変化していくはずです。
ここまで本稿でも、4年間のうちに変わったと思う部分をいくつか取り上げてきました。
でもその一方で、やっぱり時間が経っても変わらない何かがあるのだろうとも思うのです。
当日僕は2徹明けだったので、2次会ではほとんど眠りこけていました。そのとき遠くで騒ぐ声を聞きながら、1年次の追いコンでぐうぐう眠っていたころのことを思い出しました。
あのときの先輩たちと今の後輩たちは、もちろんまったく何のつながりもないはずなのですが、それでも彼らが他人とは思えないほど、毎年おんなじようなことをやって、おんなじようにみんなはしゃいでいるのです。
同様の感覚は、合宿でも試合でも、今年は何度も感じられることでした。
KBRがそういう人間の集まる場所なのか、あるいはKBRの空気感がみんなをそうさせているのかは、よくわかりません。
ただひとつ言えるのは、集まり散じて人は変われど、永遠な何かがこのサークルには残っているということです。
昭和平成を経て、KBRが3つ目の時代に突入しても、その姿はきっと変わらないはずでしょう。
そういえば追いコン後初の練習では、もう新しい後輩が入会を決めてくれたそうですね。
KBRの4年間を終えた人がいる一方で、これから新しい4年間を始める人がいるというのは、なんとも感慨深いことです。
KBRのともしびが、今後も消えることなく光り続けるよう願っています。
さよなら、KBR!
05
こんなふうに見送ってくれる後輩がたくさんいてよかったな、幸せだなって思う。自分が見ていたような先輩っぽい先輩には全然なれなかったけれど、自分なりに後輩と仲良くなれて本当に満足です。
010
幹事って大変だけど、めちゃめちゃ楽しい。全力で突っ走ったら絶対楽しいと思えるので、頑張ってください。幹事の時にいっぱい支えてくれた15世代、ありがとうございました。
011
チームで目標に向かって頑張るということが初めてだった。特に幹事学年の塾内決勝は本気で応援して、2アウトのときは本気で祈って、今でも思い出すとすごく青春していたなって感じる。他にもユニディズニーに行ったり、カラオケでオールしたり、宅飲みしたり、野球以外でも大学生活を謳歌出来て、青春しているなって感じられた。
015
スコア書けるとか書けないとか、飲み会まわせるとかまわせないとかが仕事ではなく、そこにいるだけで大切な存在なんだっていう認識を、マネージャーだけでなくプレイヤーも持っていてほしいと思う。
096
今でも合宿とか、KBのイベントに行けなかったのを後悔したことが多かったので、KBに対して後悔がないように、楽しく過ごしていてほしいなと思う。あとはみんな同期旅行に行ってほしい。
110
動画で「やめたくなったらやめちゃえ」っていったけれど、それでも「やっぱKB好きだなあ」とか「ちょっとやめるの名残惜しいな」って思える人は、KBのマネにすごく向いていると思う。「続けていてよかったな」って思える瞬間が絶対にあると思うので、やめないでほしい。
35
当たり前のように開かれている追いコンも本当は当たり前じゃなくて、これだけのムービーだったりプレゼントだったりを毎年やってくださっているっていうのは本当にありがたいこと。今いろいろやっていることは大変かもしれないけど、この舞台に立つと「ああ、いいサークルなんだな」って思うことがあるかもしれない。追いコン開いていただきありがとうございます。
41
KBRは大学生活のなかで大きなウェイトを占めていると思うので、つまらないとかめんどくさいって思うのではなく、自分自身が積極的にKBRを使ってどういうふうに楽しめるのかを考えてほしい。社会人になっても大人になっても老人になっても、大学4年間はあんなことあったよね、こんなことあったよねって、集まったときに1時間でも2時間でも、一日中でも思い出せるような生活を送ってほしい。
3
やっぱりみんな、誰かに支えれながらKBRをやっていると思う。例えば練習にしても、監督が練習メニュー組んで、幹事学年がバッピやらバッキャやらやって、マネージャーがPD買ってきてくれて、そういう支えがあってみんな楽しくやっている。監督のときも支えられないと自分は何もできなった。自分が15を引っ張っているって言われていたけど、みんなが支えてくれたからKBRを4年間やってこられたと思う。
24
素敵な会を開いてくださってありがとうございます。後輩へのメッセージは、僕は4年間一緒にいたなかで全部伝えられたと思っているので、ここで話すことは特にない。
23
サークルは楽しくなきゃいけないんじゃないかなと思っている。そしてその楽しみ方は、人それぞれ違う。KBRの魅力はいろいろあって、どれもつぶしちゃいけない。今後楽しいサークルを作っていけば必然的に人は入ってくるし、そうすればまたKBRが盛り上がれるんじゃないかと思う。そのためにはまずみんなが楽しまなきゃ始まらない。自分が楽しめば周りはついてくると思う。楽んでほしい。本当にこれだけは忘れないでほしい。
家族という言葉について